【校長ブログ】日本のいちばん長い日~79回目の終戦記念日~
8月15日は、79回目の終戦記念日です。川口高校では学校閉庁日ですが、バドミントン部、卓球部、剣道部、柔道部、野球部、ウエイトリフティング部、男子バスケットボール部、サッカー部などが練習をしていました。
熱戦中の甲子園でも岡山学芸館高校(岡山)と掛川西高校(静岡)の対戦中の正午に一時中断。選手や観客らは脱帽し、サイレンが鳴り響く青空の下、1分間の黙とうが行われました。甲子園で終戦の日の黙とうは、1963年の第45回全国選手権大会から行われています。学校でも半旗を掲揚しました。
半藤一利さんの「日本のいちばん長い日」は、戦後20年目の1965年に出版されたノンフィクション作品です。2年後の1967年に映画化され、2015年にもリメイク版が上映されました。昭和天皇の御前会議で太平洋戦争の降伏を決定した昭和20年8月14日から、陸軍のクーデター事件発生と鎮圧、国民に対するラジオ放送で昭和天皇がポツダム宣言受諾を伝える8月15日正午までの24時間を描いている映画です。
日本のラジオ放送は1925年に日本放送協会(NHK)によって東京で始まりました。NHKは東京の放送を関東一円に届けるために、1937年に川口市と鳩ヶ谷町に放送所を開設し、川口に312m(東京タワー完成までは日本一の高層物)、鳩ヶ谷に206mの鉄塔を建設しました。川口高校近くの鳩ヶ谷高校は、NHKの鳩ヶ谷放送所の跡地です。1983年に放送所が埼玉県久喜市へ移転しました。川口放送所の跡地が川口市立高校の隣にあるSKIPシティであり、鳩ヶ谷放送所の跡地に鳩ヶ谷高校が開校したのは1988年です。
終戦から10日後の昭和20年8月25日午前5時、降伏を認めない陸軍将校に指揮された16歳から18歳の陸軍予科士官学校学生67名が川口放送所と鳩ヶ谷放送所を占拠し、NHK放送で戦争継続を訴えようとしました。結局、放送は実現しませんでした。東京から8月14日のクーデター事件を鎮圧した 田中静壱 東部軍司令官が鎮圧のために直接鳩ヶ谷へ到着したため、午後4時に反乱者は降伏し、首謀者は逮捕されました。この事件により9時間にわたり放送が停止しました。また、田中司令官は鎮圧を見届けてから東京へ戻り、この日の夜に自決しています。
歴史に「もし」というのは禁物ですが、「もし、戦争継続の放送がされていたら・・・」、日本の終戦直後の混乱は一段と大きなものになっていたでしょう。川口高校がある川口の地を舞台に終戦をめぐるドラマがあったのです。
現在の日本は平和な時代です。20世紀の英国の外交官であり歴史家であったE・H・カー(1892~1982)は、「歴史とは現在と過去の対話である」と言っています。歴史に学び、思考停止をしないで、しっかりとしたバランス感覚を持った大人になってもらいたいと思います。