【校長ブログ】対話を怠っていませんか?~83年前の日米開戦に想う~
12月9日、県立川口高校では、本日から4日間期末考査です。黄金色に輝く校内のイチョウも冬を思わせています。
川高生には自分の力をしっかりと発揮してくれることを期待しています。
昨日12月8日は、日米開戦の日でした。新聞各紙では、日米の和解や非戦を誓う言葉がいろいろと報道されていました。私は大学で歴史を学びました。過日参加した歴史教育の会議で「歴史を職業とする私たちは、対話を怠っていないか?」という問題提起があり、ハッとしました。
「歴史とは、現在と過去との対話である」
と語ったのは、英国の歴史家E・H・カー(1892-1982)です。『歴史とは何か』(岩波新書 1962年)が有名ですが、『歴史とは何か 新版』(岩波書店 2022年)も刊行されました。
「歴史は…人の財産。あなた達がこれから生きる未来をきっと照らしてくれるけど、過去から受け取った歴史は、次の時代へひきわたさなくちゃならない。過去の声を受け止めて、守りたかっただけ」(ONE PIECE)
「歴史中のだれもが、はるか昔から同じ血を受け継いで、今、生きているのです。歴史はさらに未来へ続きます。これからの人類の歴史を戦争などのない明るく楽しいものにしたいですね」(どらえもん)
というアニメの言葉も心に響きます。
1941(昭和16)年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、日本軍が米国ハワイ・オアフ島の真珠湾の米軍基地を奇襲攻撃し、3年9カ月に及ぶ太平洋戦争が始まりました。日本近現代史の研究者である 加藤 陽子 東京大学大学院教授の『戦争まで―歴史を決めた交渉と日本の失敗―』(朝日出版社 2016年)という本を紹介します。
この本は、28名の中高生を対象にした歴史講義がもとになっています。日米開戦の前に、世界が当時の日本に「どちらを選ぶか」と真剣に問いかけてきた交渉事は三度ありました。第一は、満州事変に対して当時の国際連盟によって派遣された調査団が作成したリットン報告書をめぐっての交渉と日本の選択です(1932年)。第二は、ヨーロッパでの戦争と太平洋での日米対立を結びつけることになった日独伊三国軍事同盟締結についてです(1940年)。第三は、1941年4月から日米開戦直前の1941年11月までに日本と米国の間で交渉がなされた日米交渉です(1941年)。
加藤陽子教授は「この講義の目的は、みなさんの現在の日々の生活においても、将来的に大人になって社会人になった後においても、交渉事にぶちあたったとき、なにか、よりよき選択ができるように、相手方の主張、それに対する自らの主張を、掛け値なしにやりとりができるように、究極の問題例を挙げつつ、シミュレーションしようとしたことにあります」と述べています。
当時の日本がなぜより良き道を選べなかったのかを、じっくりと考えることができる一冊です。是非ご一読ください。